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やめたい「きつい」 病死の女性教諭、体にはたくさんの湿疹

 2013年に福岡市立小学校の教諭だった女性(当時53歳)が急性くも膜下出血で死亡したのは過重な業務が原因だったとして、地方公務員災害補償基金が公務員の労災に当たる「公務災害」に認定したことが判明した。亡くなる約1カ月前からの時間外勤務と自宅での作業時間は計160時間超に達していた。遺族の代理人弁護士は「公務による過重負担と病死の因果関係が認められた珍しいケースだ」としている。

亡くなった元小学校教諭の女性の夫で原告の男性(64)が、訴訟にかける思いを代理人弁護士を通じて報道各社に文書で配布した。文書の内容は次の通り。【平塚雄太】  ◇赴任直後に学年主任、心身の負担に  被災者(女性、当時53歳)は、同じく教員の原告(夫、当時55歳)と共働きで、子ども2人と同居し、炊事等の家事労働もしていた。  被災者は、前任校から平成25(2013)年4月に赴任したところ、赴任初年度から6年生の担任と生徒指導の主任と学年主任を任された。  初めて赴任する小学校において、低学年(2年生と1年生)とは違って既に5年間の学校生活を経てきた6年生の子どもたちは、新しく赴任したばかりの被災者よりも学校の環境に慣れており、被災者がその環境に慣れるまでに、子どもへの指導が手探りの状態になり、被災者の心身両面の負担が大きかった。  また、担任に加えて6年生全体も把握しなければならない学年主任を任されたことで、より心身両面の負担が大きくなった。  なぜなら、学年主任は、今までにどのような子どもがどんな行動をとって、どんなトラブルや問題があって、どう解決に結びつけていったか、さらに、子どもの保護者や家庭環境ひいては地域の実情まで理解しなければならず、これらのことを理解しているのは前年度からいる教員であって、新しく赴任してきた教員には困難を伴うことは不可避だからである。  ◇業務急増、土日も採点  平成25年4月前までの2年間、夫婦ともに朝5時に起床し、被災者は、食事の支度と子どもの弁当作りをして8時までに出勤し、18時か18時半ごろに退勤し、就寝前に自宅持ち帰り仕事をすることが基本的であった。持ち帰り仕事は、日常的なものであり、翌日の授業の予習に最低1時間、参観日前にはその教材作りに更に時間を要し、採点、文書作成、教材一般、名札などの備品製作、担任の場合には、週に1回翌週の時間割表(クラスの保護者向け通信も兼ねているもの)を木曜日までに作成することも加わる。これに「研究指導案」の作成などが加わることもある。  平成25年4月以降の変化は、以下のとおり。  2週間に1度くらいの割合で、朝5時前に起きて学校の作業をするようになった。  退勤時刻はほぼ毎日18時40分前後になり、遅い時は「生徒の問題で対応しなければならないから」と帰宅時刻が20時から21時にもなることがあった。  担任であり、学年主任であり、生徒指導の主任でもあったため、自宅に持ち帰ってくる仕事に割く時間が以前にもまして増えた。  土日祝日にも、少なくともテストの採点をしていた。  ◇ストレスと過労でくも膜下出血発症  平成25年8月ころには、過労によるストレスが心身に蓄積していた。  毎日のように、「やめたい」「とにかくきつい」と常に口にするようになった。  被災者の体にたくさん湿疹が出た。  腰や首、肩などもとても痛く、凝るようになる度合いがとても多くなった。  平成25年10月に実施予定だった6年生の修学旅行の準備に加え、妊娠して具合が悪くて帰ったり休んだりした同学年の教員分のカバーをした。  管理職の教員が手伝うこともなく、逆にいろいろな仕事を次々に求めてきた。「変質者が出た」、「何か問題が起った」という時も「全体に出す文書を考えてください」や「放送で全体に呼びかけてください」とか担任で授業や指導をしている時や、子どもたちを見ないといけないのに平気で教務が呼びに来たり、文書を考えてくださいとか言いに来たりした。  赴任したばかりで6年生の担任を任せられ、生徒指導主任、学年主任をも任せられ、仕事の質も量も増え、疲れ果てても休息や療養を取る機会がないまま、仕事を続けたストレスと過労がくも膜下出血発症の原因である。  勤務時間も定時に帰れる雰囲気ではなく、所定の勤務時間外で仕事をせざるをえないような校長先生の言動も、直接ないし間接的に精神的なストレスとなった。例えば、書類を早く委員会に提出しないといけない時でも、校長先生からなかなか書類が戻らず、締め切り直前ぎりぎりになってから手直しをするように言ってきたり、自分が気に入らないことがあれば感情的になったり、また、自分に対して自分の意見を認める人には良く接し、自分に逆らう意見を言う人に対しては、徹底的に攻撃したりということがあった。その結果、地域の行事(土曜・日曜)には、休日にもかかわらず手伝いに出ていかねばならないような雰囲気が作られ、時間外であっても仕事をしなければならないように仕向けられる状況に追い込まれた。  ◇法的な責任の所在を  原告が「もう早く体を休めて寝るように」「無理するな」「もういいかげんに仕事やめろよ」と言っても、被災者はいちずな性格で責任感もあるので仕事を続けた。そんな被災者に対して原告は「お前が倒れたら、俺が校長を訴えてやる」と言っていたが、本当にこんな結果になってしまった。  平成25年10月に被災者が亡くなって公務災害認定までに7年余り、そして今回、民事裁判が始まることになったが、被災した経緯を明らかにすることで、管理職による学校教員への安全配慮が尽くされていれば避けられた結果ではないか、法的な責任の所在を問いたい。